今では全国区で活躍されている俳優の大泉洋さん。
北海道時代は怪物の異名を誇るほどの超有名人でした。
今回は、大泉さんの大学時代や大学受験の気になる噂について、記事にまとめてみました。
大学時代が役者の出会いが役者になるきっかけだった!
大学受験の失敗で人生初の挫折!
ってほんまかいな!?
目次
大学時代の出会いが役者になるきっかけだった?
大泉洋(おおいずみよう)
生年月日:1973年4月3日
身長:178センチ
血液型:B型
出身地:北海道江別市
大泉さんは、1994年に北海学園大学経済学部経済学科に入学します。
ですが、本来志望していた大学ではなかったんです。
母親から「もう死ぬんじゃないか」と心配されるほど当時の大泉さんはかなり落ち込んでいたようです。
しかし、「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と思い、演劇研究会に入ることになったのです。
後に、大泉さんはこう語っています。
「思いがけず面白い連中がたくさん集まっていて、演劇よりもまず彼らに惹(ひ)かれました。志望校に落ちてこの大学へ入ったのも彼らと出会うための必然だったんでしょうね、きっと」
ここで知り合った仲間5人と共に劇団ユニット「TEAM NACS」を結成しました。
知らない人たちを笑わせるのが楽しくてどんどん芝居にのめり込んでいったようです。
そんな彼の舞台を見た人の紹介で、大学在学中の1995年に北海道の深夜テレビ番組に「元気くん」というキャラクターで出演することになります。
元気くんまとめ#大泉洋 #しゃべくり007 pic.twitter.com/KrIWvnOVbX
— アキ@CDJライビュ参戦 (@10c_36) 2018年5月21日
ですが、このテレビ出演は親には黙っていたらしく、親戚が集まった際に「元気くん」と呼んだことを不審に思った親から問いただされバレてしまったらしいです。
親御さんもさぞかしビックリしたことでしょう。
更にそのテレビ番組がきっかけで1996年バラエティー番組「水曜どうでしょう」へのレギュラー出演が決まったんです。
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— 大泉洋@水曜どうでしょう (@ooizumidoudesyo) 2016年12月28日
この番組が大ヒットし、大泉さんの人気は爆発。
北海道で彼を知らない人はいないというほどの有名タレントになりました。
私も大好きな番組であり、大泉さんを知るきっかけともなった番組です。
「ありがたいことにトントン拍子でした。NACSの舞台もバラエティー番組も、僕が一番好きな『人を笑わせる』ということをすればいいわけで、それはもう楽しかったです」
北海道で順風満帆な芸能活動をしていた大泉さんですが、「水曜どうでしょう」がいったん終了してしまうことになるのです。
「基本的に北海道で仕事ができればよかったので、当時の状況に本当に満足していたんです。ところがその番組がなくなると知った時は、さすがにこのまま仕事を続けていけるのかと不安を感じました」
引用元:https://tenshoku.mynavi.jp
「水曜どうでしょう」はすでに生活の柱となってたので、番組がなくなることは大泉さんにとって将来を左右する問題となったわけです。
ですが、これが芝居の仕事に熱を入れる転機になったんですね。
「とはいえ、北海道では芝居の仕事が少ないので東京へ進出するしかない。ただ、ここでもまた悩みました。東京では無名の僕がいったいどうやって仕事をしていけばいいのかと。いきなり大きな役は無理。だからといってエキストラでドラマ出演では、僕をよく知る北海道のファンはがっかりするでしょう。『大泉も、やっぱり東京ではこうか』って」
そんな矢先に舞い込んできたのが、全国ネットの連続ドラマ「救命病棟24時」への出演話でした。
シリーズ化されている人気番組だっただけに、これを機に大泉さんの知名度は一気に全国区となったのです。
大泉洋を語る上では救命病棟24時は欠かせない、真面目なストーリーのはずなのに「大泉さんが医者の格好をしてる」という演出だけで終始ギャグシーンにしか見えなかったのが辛い。 pic.twitter.com/2AA7HOL2AF
— のんすけ(N/S) (@nonsuke_Ns) 2017年1月7日
「本当にラッキーでした。僕は自分に自信がないし、実力を過信していない。でも人や仕事と出会う力はあると思う。二浪の末、希望の大学へ行けなかった時も、それによって仲間に出会えたわけだし。こんな風に絶好のタイミングでいい仕事に巡り合えているのも、事務所のスタッフのお陰なんです」
まさに、大学時代での出会いが大泉さんを役者として活躍するきっかけとなったわけです。
人との出会いが自分の人生を作っていく。
あとは、行動あるのみですね!
で気になるのが、この大学はもともと志望校ではなかったというとこです。
大泉さんの志望校とはいったいどの大学だったんでしょうか?
大学受験失敗で人生初の挫折
大泉さんの父親は北海道高等盲学校などの校長を歴任した教員、母親は中学校教師。
そして、お兄さんは早稲田をストレートで合格するというエリート一家なんですね。
「お兄ちゃんが早稲田いけるんなら、自分もそこそこの大学行けるんだろうなー」と思った大泉さんは早稲田大学を受験しますが結果は不合格。
ですが、滑り止めとして受験していた法政大学には合格していたようです。
この結果に納得できなかった大泉さんは浪人という道を選択するのです。
そして翌年、早稲田と慶応といく難関にチャレンジするのですが、結果はまたしても不合格。
で、結局は二浪して志望校ではなかった北海学園大学に入学することになったのです。
「高望みして二浪までしたのに結局志望校に入れなかった。人生初の挫折でした。だから、入学当時は合コンも遊びもしたくないという、完全にやる気のない状態でしたね」
これが人生初の挫折となったわけです。
ですが、浪人時代は遊びまわっていたとの情報も。
ほどよく(浪人生仲間と)遊んでいましたよね。学校がないから、誰かに『何かをやりなさい』とも言われない。そうすると無限に時間があって、どう過ごすかが試される。
天気のいい日はテニスをしたり。浪人時代だけですね、あれほど車のゲームに熱中したの。ボーリングが(人生で)一番うまかった。そりゃあ、やっぱり受からんわと。引用元:https://knowsfree.com
さすがに、遊びまわっているようでは早稲田は受かりませんよね。
それとも、よっぽど自信があったのかもしれません。
だからこそ、失敗により大きく落ち込んでしまった可能性もありますね。
ですが結果的には、受験の失敗によって今の大泉さんがあるわけで、決して無駄な経験ではなかったということでしょう。
これは、大泉さんに限らずみなさんもあると思います。
逆境をバネにいかに行動をおこすのか?
大泉さんも劇団の門を叩かなければ芸能人にもなってなかったでしょうし、私の大好きな「水曜どうでしょう」という番組もなかったことでしょう。
一に行動、二に行動の精神ですね!
みなさんも失敗したからと言ってメゲるのではなく、行動しまくって人生を切り開いていきましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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