「おんな酒場放浪記」での、独特の喋り方と見事な食べっぷりで人気の寺澤ひろみさん。
スタイルが良いことなどから、それを楽しみにしている男性視聴者もいるほどなんだとか。
本業はハーモニカ奏者なのですが、プライベートなことは謎に包まれたままなんです。
今回は寺澤ひろみさんの年齢や結婚相手など気になることを調査して記事にまとめてみました。
是非、最後まで読んでみてくださいね!
目次
寺澤ひろみの年齢は?
出典元:twitter
まず、おんな酒場放浪記を見ていて「年齢っていくつなんだろ?」と疑問に思った人が多いみたいですね。
私もそのうちの一人なのですが、HPのプロフィールを見ても生年月日が公表されておりません。
今週は「おんな酒場放浪記」#寺澤ひろみ さんのロケでした。
遅ればせながらお誕生日のお祝いを。
寺澤さん、おめでとうございました!!乾杯🍻#おんな酒場放浪記 pic.twitter.com/Ocy6MZQEFc— 【公式】酒場放浪記 (@sakaba_bstbs) 2018年11月30日
こちらの記事から、誕生日は11月であることは判明しました。
日にちは21日との情報もあるのですが、確かな情報ではありません。
で、生まれた年は?ということになるのですが、寺澤さんは1998年に明治大学文学部日本文学科に入学しています。
ですので、1998から19を引きまして1979年生まれであることが判明しました。
ということは、2023年で44歳ということになります。
外見や喋り方から、もう少しお若いのかと思っておりました。
では次なる疑問として「結婚はしているのか?」というところですよね。
年齢からすると当然していてもおかしくないのですが、次は結婚について調査してみました。
結婚しているの?
出典元:instagram
色々と調査してみましたが、寺澤さんが結婚しているとの情報はありませんでした。
プライベートなことは酒好きということ以外はあまり公表してないので、もしかしたら結婚している可能性もあるのかもしれません。
私は、独身の可能性が高いんじゃないかな?って思ってはいるのですが。
では次の投稿をご覧いただきたい。
これは、従姉の結婚式に参列された時の様子です。
確かに目元を隠すと、どことなく似ていますよね!
ご自身の結婚式などの情報も無いことから、やはり独身なのかなと。
では、最後に寺澤さんのお父様のことについて調査してみましたよ!
父親も複音ハーモニカ奏者の寺澤博義
寺澤さんの父親は同じく複音ハーモニカ奏者の寺澤博義さんです。
ハーモニカ奏者になる前は、プロのベーシストとして活躍していました。
そして、娘であるひろみさんは高校生の時は吹奏楽部でパーカッションを担当していたようなんです!
伯父が楽器店を営んでおりまして、高校の入学祝いに何故かアルトサックスをくれたんです、やったこともないのに(笑)。
そんなきっかけもありましたし、中学でも音楽がやりたかったんですが、通っていた中学に吹奏楽部がなくて、高校では吹奏楽部に入ろうと思っていたんです。
それで吹奏楽部に入って、「アルトサックスやりたいです!」って言ったら「ダメ、キミ経験者じゃないから」と(笑)。
なので高校ではずっとパーカッションを担当していました。出典元:zengakkyo.com
そんなある日、父の誘いによって地元で開催された「明治大学ハーモニカソサエティー」の演奏を聴いて感動し、ハーモニカ奏者を目指すことになったのです。
ですが、明治大学を目指すキッカケはお父さんとの口論からだったようなんです。
演奏会から帰って、父にキレたんです。「お父さん達はプロなんでしょ。何で彼等にちゃんとしたハーモニカを教えてあげないの?」と。父は短気で怖かったんですけど、生まれて初めて食って掛かったんです。そうしたら口論になっちゃって、「そんなこと言うなら、お前明大に入ってみろ」「分かったよ、入るよ!」と(笑)。今になって思えば、大人には大人のしがらみがあったのでしょう。父も私が明大に入れば縁ができて教えに行けると思ったのかもしれませんね。
出典元:zengakkyo.com
幼少の頃からずっとハーモニカをしていたのかと思ったらそうではなかったんですね。
父の生徒さんからしてみると、私はいつも父に教えて貰えるんだから羨ましい、みたいなことを思われるんですよね。
その実、父は帰ってくるのが遅いので直接教えて貰うようなことはなくて。
なのに上手く吹けて当たり前と言われるのがすごく嫌で。
音楽自体はすごく好きだったので聴くことはずっと続けていましたが、小学校高学年くらいから、だんだんハーモニカを吹かなくなっていきました。出典元:zengakkyo.com
ですが、寺澤さんが大学3年だった2001年2月に癌により他界してしまいます。
53歳という若さでした。
父の遺品を整理しているうちに、父の書いた譜面が見つかった事をキッカケに複音ハーモニカを始めたのだそうです。
出典元:instagram
複音を本格的に始めたのは、父が亡くなってから⋯⋯。
私が20歳のときに、父が記念に直筆の複音ハーモニカの楽譜(数字譜)をくれたんです。
『魔笛の主題による変奏曲』という非常に難しい曲で、「これは僕の経験と知識が全部詰め込んであって、難しいけど僕としては何処に出しても恥ずかしくない楽譜だと思っているから、もしキミが複音ハーモニカに興味を持つようになることがあれば、その時にこれを持って来なさい」と。
でも貰ったはいいけれど、ハーモニカを9本も使うような難しいアレンジなんですよ(笑)。
だからずっと吹かずに、机の中にしまい込んでいたんですよね。出典元:zengakkyo.com
お父さんが亡くなった2001年には、すでにハーモニカの指導資格も取得しており、自分としては「もうこれで終わりかな」と思っていたようなんです。
しかし、しばらくしてお父さんの部屋に入った寺澤さんはお父さんの使っていたハーモニカと目が合ってしまうのです。
そこで、お父さんに貰った楽譜を引っ張り出してきて、複音ハーモニカの練習をやろうとするのですが、お母さんから「今年世界大会があるから出てみれば?」と言われます。
お父さんも何度か出場している大会で、いつか二人を連れて行きたいと語っていたようなんですね。
そして、卒業旅行の前倒しで、吹けなくてもいいから世界大会に出場しよう!
となり、半年後にドイツに行く為に、ここから複音ハーモニカの猛練習を開始するのです。
その結果、世界大会初出場で初優勝という偉業を達成するのです!
父から娘へとハーモニカチャンピオンが引き継がれた瞬間でもあったのです!
天国で見守っていたお父さんもさぞかし喜んだことでしょう!
ほんと感動のエピソードですよね!
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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