ボクシングの元ミドル級世界チャンピオンで、後にタレントとして活躍した竹原慎二さん。
TBSで放送された「ガチンコ」で知った方も多いんじゃないでしょうか?
広島弁での絡みは迫力があり、怖い人だな~という印象もあるかと思います。
ちなみに現在は東京での生活が長くなって、広島弁を忘れてしまったのだとかw
そんな竹原さんは「広島の粗大ゴミ」と言われたくらい、相当やんちゃをしてきたそうです。
今回は、竹原さんの若い頃の伝説を記事にまとめてみました。
是非とも最後まで読んでみてくださいね!
目次
中学生時代
竹原さんは、広島県安芸郡府中町の出身で、出身中学は「府中中学校」になります。
竹原さん以外で、この府中中学校出身の有名人 の方がこちら!
そう!吉川晃司さんなのです!
竹原さんは「アニキ」と呼ぶくらいとても慕っているんですね。
そして、中学に入った頃に父親が蒸発してしまい家からいなくなってしまうんですね。
出典元:https://youtu.be
そんなこともあり、やんちゃな中学時代を過ごすことになります。
柔道をしていたということもあり、喧嘩ではだいたい柔道の技を駆使していたんだとか。
病院送りにしたこともあるらしく、今では「ただ、迷惑かけただけ」と当時のことを反省されております。
病院送りは、16歳の時にもう1度あるそうで計2回だけだそうです。
ここで、いくつか中学時代のエピソードを紹介いたします。
夜のプール事件
夏の夜に中学校のプールに忍び込み、友達5~6人くらいで泳いでいたそうなのです。
ま、ここまではよくある話ですよね!
ですが、竹原さん達はとんでもない暴挙にでます。
プールを出る際に4隅に分かれてあることをしていたんだとか。
それは・・・
う〇こしていたそうなんです!
そんなタイミングでよくできるな!と思いませんか?
私は人前でそんなことできませんw
それはさておき、その後先生に呼びだされこう言われたらしいのです。
先生「おい、竹原。お前知らんか?」
竹原「知らないっすよ」
すっとぼけた竹原さんですが、水を総取り換えするのに、20万ほどかかることを聞かされるのです。
それを聞いた時は罪悪感しかなかったそうです。
それ以降はしていないと思います。
知らんけどw
先生の家に乱入事件
中学時代のある日、再び友達5~6人で違う街の学校の先生の家に乱入することにしたそうなんです。
乱入することになった理由は語られていないのでよく分かりませんが、なんとなく想像はつくかなと。
そして、家に着くと先生は留守だったらしいのです。
すると、友達2人が玄関であることを決行したのです。
それは・・・
再び、う〇こしたらしいのですw
またかい!
人の玄関の前でう〇こが出るというのも驚きですが、どんだけ野ぐそ好きやねん!と突っ込んでしまいそうになってしまいますね!
そして、犯人の友達はパシリ役に「お前、隣行ってティッシュもらってこい」と言って取りに行かせ、その後う〇こにティッシュを被せて立ち去ったのです。
で、翌日全員が呼び出されこっぴどく怒られたらしいですw
でも、なぜ竹原さんグループだと分かったんでしょうかね?
プール事件があったので「う〇こなら、あいつらだ!」と先生も思ったのでしょうか。
ちなみに竹原さんは人前でう〇こはできないようで、一応無罪放免となったようですよ。
人間ボウリング事件
これも中学時代のエピソード。
竹原さんは、当時生意気だった奴を呼び出して正座させたというのです。
ま、これもここまではよくある話ですよね。
ですが、竹原さんは「人間ボウリング」と称しそいつをピンに見立ててボールを投げていたんだとか。
もう、その発想がぶっ飛びすぎてますw
てか、恐ろしすぎます!
そんな伝説の場所は現在パチンコ屋になっているそうです。
プロデビュー前
そんな中学時代を過ごした竹原さんですが、高校受験をするものの5校落ちることになるのです。
当時、広島で偏差値が一番低く、名前さえ書けば受かるといわれた高校も受かることはなかったそうです。
その後、2次募集で中国地方でも一番偏差値が低いと言われていた高校も落ち、さらには専門学校まで落ちて、どこも行く学校がなかったのです。
そこで、竹原さんが取った行動は・・・
暴走族に加入するということだったんです!
この頃の竹原さんは、向かうとこ敵なし状態で、かなりイキがってたようなんです。
そんな無敵状態の竹原さんでしたが、1988年の8月に暴走族よりも上の組織にボコボコにされたというのです。
そこで竹原さんは「今まで勝った喧嘩は、自分の実力じゃないんだな」と思ったそうなのです。
その時期に、2度目の病院送りがあったそうです。
そんな荒れた日々を過ごしていた竹原さんの前に、蒸発していた父親がいきなり戻ってきたのです!
その時のお父さんは竹原さんに対して、
「喧嘩とかそういの辞めて、ルールのある所で勝負しろ!」
と言われたのです。
そこで竹原さんは、
「お父ちゃん!俺マジ真剣にボクシングやってみるわ!」
とお父さんに宣言したのです!
そう!実は、お父さんは元プロボクサーだったんです!
この日からプロボクサー竹原慎二の人生がスタートしたのです。
そして、所属していた暴走族の集会で「ボクシングのために上京する」と宣言し、上京することになったのでした。
プロボクサー時代
1988年9月9日にボクシングを開始した竹原さんですが、17歳の時に見事プロデビューを果たします。
デビュー戦は、4回KO勝ちで白星で飾りました。
そして、1989年12月23日には「東日本ミドル級新人王」に輝きます。
さらに、1990年2月18日には「全日本ミドル級新人王」にも輝きました。
出典元:https://youtu.be
これまで負け無しで、11戦10KOという圧倒的な強さでした。
その後、無敗のまま1993年5月24日に「東洋太平洋ミドル級王座」を獲得します。
出典元:https://youtu.be
当時は「女の子にモテモテだったんじゃないの?」と思うのですが、なんせパンチパーマで日焼けして真っ黒ということもあり、全然モテなかったそうです。
たしかに、これでは女の子も近寄りがたいですねw
ですが、彼女は常にいたそうですよ!
そして、1995年12月19日、無敗のまま24戦目で世界初挑戦し、見事に「世界ミドル級チャンピオン」に輝いたのです。
23歳という若さでした。
しかも、この階級では日本人初という快挙だったのです。
そして、1996年6月24日に迎えた初防衛戦で残念ながら敗れてしまい、6カ月で王座陥落となってしまいます。
その後、網膜剥離が判明し、プロボクサーを引退することを余儀なくされたのです。
現在の竹原慎二
プロボクサー引退後は芸能人になったものの、仕事は全く来ず、朝から晩までパチンコや日焼けサロンのアルバイトで生活していました。
その後、奥さんと二人でイタリアンのお店を経営することになったのです。
出典元:https://youtu.be
かなり繁盛しており、忙しい毎日を送っていましたが、この頃に入ってきた仕事が「ガチンコ」だったのです。
最初は渋っていたのですが、1クールだけということでオファーを受けたんです。
この番組出演がきっかけで、芸能界の仕事もどんどん増えていったんですね。
その後、通販の事業でも成功し順風満帆な日々を送っていましたが、2014年に膀胱がんが判明してしまいます。
リンパ節への転移も見つかるなど病状は悪化していましたが、懸命なリハビリの結果見事に復活を果たしました!
現在は、ジム経営のほかにYouTubeチャンネル「竹原テレビ」も運営しており、元気な姿をファンの前に見せてくれています。
さらには、地元府中町のPR大使にも就任されました!
出典元:https://www.town.fuchu.hiroshima.jp
粗大ゴミとも言われていた不良少年が、大使に就任するなんて夢にも思わなかったことでしょう。
これは、竹原さんが行ってきた行動によるものですし、私も見習うべきとこでもありますね。
まさに、人生はどのように行動するかによって造られるものだなと。
さらには、どのような人と付き合うのか?
といったところも大きいのではと思います。
今後も、竹原さんの活躍に期待したいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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