吉川晃司の若い頃の伝説が凄すぎる!実は若白髪だったの!?

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日本のロック界を代表するカリスマ・吉川晃司。その圧倒的な存在感とストイックな生き様は、多くのファンを魅了し続けています。しかし、彼の若い頃には数々の伝説があり、今も語り継がれるエピソードが満載です。

中でも、あのシルバーヘアの美しさは若い頃からのものだったのか? それとも後天的なスタイルなのか? 実は、吉川晃司はデビュー当時から 若白髪 が目立ち始めていたとも言われています。さらに、彼の破天荒なエピソードには、あの「水球日本代表」の経験や、スタントなしのアクションにこだわる男気など、信じられない話がたくさん!

今回は、そんな吉川晃司の 若い頃の伝説 を振り返りながら、彼の魅力に迫っていきます。

プロフィール

吉川晃司(きっかわこうじ)

生年月日:1965年8月18日

出身地:広島県

血液型:B型

身長:182cm

所属:アクセルミュージックエンターテイメント(代表取締役社長)

1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時は俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

出典元:https://ja.wikipedia.org

ミュージシャンとして活躍中の吉川さんですが、デビューは映画すかんぴんウォークでした。


出典元:http://blog.livedoor.jp

そして、同時に歌手としてすかんぴんウォークの主題歌でもあったモニカでデビューしました。


出典元:https://www.youtube.com

このデビュー映画では広島から東京まで泳いでやってくるという、とんでもない設定でしたが、吉川さん自身の若い頃にもとんでもないエピソードがいくつかありますので、今回はそれを紹介したいと思います。

 

水球の元日本代表選手だった!

広島の修道中学時代から水球選手をしていた吉川さんですが、水球を始めるキッカケとは何だったんでしょう?

「もともとサッカーをやっていたけど、暑い日、プールがきらきら輝いて見えてね。誰もいなかったんだよ。男子校だから、海パンなんて落っこってて、そのままはいて水に漬かってたわけよ。そうしたら中高6年制だったから、高校生の主将がちょうど来ちゃって。『お前、何しとんじゃ!』『今日から水泳部!』と」

出典元:https://www.nikkansports.com

現在でも泳ぐことを欠かさないという吉川さんですが、水泳を始めたきっかけは、まさかの強制入部だったんですね。

逆三角形の体格は水泳によって作られたんですね。

若いころには便所のマークとも言われていたいたようですよ(笑)

そして、修道高校2年の時に、U-20の日本代表に最年少で選出されたのです!

ですが、海外遠征時に世界との大きな壁を感じて水球を辞める決意をしたのです。

そのことについては、以下のように後に語っています。

「外国には100キロの選手がざら。(元プロレスラーで親友の)前田日明さんを背負って水の上で受けるみたいな感じですよ。前田7人はやめてと。想像を超えてますよね」

出典元:https://www.nikkansports.com

喧嘩するなら水辺だね」なんてことを語っていたこともあり、水球はまさに水の中の格闘技といったところでしょうか。

デビューするために芸能事務所に自ら手紙を送った!

水球を辞めてから音楽活動をしていた吉川さんですが、広島にいてもなかなかスカウトされる訳でもなく、そこで彼がとった行動が第三者になりすまし芸能事務所に手紙を送りつける作戦でした。

「広島に吉川晃司っていう凄い奴がいる。歌は上手い!ギターも上手い!踊りも上手い!一度見に来ないと一生後悔するよ。」

みたいな感じの手紙を送ったらしいのです。

すると、渡辺プロの方が松本明子さんに会いに行ったついでに来てくれたんだとか。

しかし、松本明子さんは「吉川晃司を見に来たついでに会いに来たんだ」と言われていたようです。

真相はどっちなんでしょうか??

 

そして、オーディションを受けるように言われ受かってしまったのがデビューのきっかけのようです。

デビュー年に、8つの新人賞を独占した!


出典元:http://iam-publicidad.org

吉川さんのデビューはアイドルとしてでした。

1984年2月1日シングル「モニカ」で歌手デビューします。この曲は、同年2月11日公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌であり、オリコンランキング3位を獲得しています。

その後も立て続けにシングルをリリースします。

サヨナラは八月のララバイ(1位

LA VIE EN ROSE(1位

ユー・ガッタ・チャンス(1位

にくまれそうなNEWフェイス(1位

RAIN-DANCEがきこえる(4位

キャンドルの瞳(2位

と、立て続けに大ヒットを連発

そして、1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占しました。

まさに吉川フィーバーが起こった年でもありました。

閉じは吉川さんの髪型を真似する若者が増えたほどだったようです。

片手バク転誕生秘話!


出典元:http://kikkawajaken.

吉川さんのライブパフォーマンスで有名なのが、片手バク転なるものがあります。

これは当初狙ってたものではないようです。

以前インタビューで誕生したきっかけを話していました。

 

「当時のアイドルってみんな小柄なのよ」

「で、みんなバク転するわけ」

バク転ぐらい俺にもできるわ!

って思ってたらしいです。

 

歌番組に出演した際、何かパフォーマンスしたいと思ってた吉川さんは、とりあえず歌終わりにバク転をしよう!と決めたようです。

歌が終わり、さあバク転するぞ!ってなった時にあることに気づきました。

マイクを持ってたんです!

仕方ないので、マイクを持ったまま片手でバク転したところ、それが「片手バク転」として広まったようです。

それ以来、どこの歌番組に行っても、「最後はやっぱ片手バク転ですよね?」って言われるようになったんだとか。

偶然に誕生した片手バク転ですが、今ではシンバルキックと合わせておなじみのライブパフォーマンスになっています。

路上で爆睡し、女子高生に怒られた!


出典元:https://ozaki3.xyz

若い頃は、友人の尾崎豊さんと飲み歩いてたようです。

尾崎豊さんといえば、当時の若者のカリスマであり今でも伝説のシンガーです。

そんな二人が飲み友達だったなんて驚きですよね!

飲み方も半端なく、気絶するまで飲んでたみたいですね。

そんなある日、いつものように明け方まで飲んでいたらバス停の横にゴミ捨て場があったらしいです。

「ゴミ袋のひんやりした感触が気持ちよかったんだろうね」

「酔っ払って尾崎とゴミ袋の上で寝てたんだよ」

気が付けば、朝の通勤時間になってたそうで、バスを待っていた女子高生が二人に向かって一言。

「カッコ悪いから起きたほうがいいですよ。」

この女子高生は吉川さんと尾崎さんだということをわかってたんでしょうね。

なんとも、微笑ましいエピソードですね。

 

以前にインタビューで「尾崎も死んじまったしなぁ」と寂し気に吉川さんが語る場面がありました。

ホントに良い飲み友達だったんでしょうね!

NHK紅白大暴れ事件!

これはホントにヤバいエピソードです。

それは、1985年の紅白初出場時に事件が起きました。

白組トップバッターでしたが、なんと真っ赤な衣装でステージ上に現れます。


出典元:https://matome.naver.jp

この時点でかなりヤバイのですが、なんと手にはシャンパンが。

そのシャンパンを撒き散らしながらの登場でステージもびしょびしょになってしまいます。

当初、NHK側から「ギター、ベースの2人以外は、ステージに登場させないで欲しい」という指示があったようですが完全に無視

もう一人のギター、キーボード2人も演奏の終盤でステージに登場させました。

更に、本来の出演時間をオーバーしたにもかかわらず、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行ったのです。

さらにパフォーマンスを続け、次の出番の河合奈保子はオーケストラをバックに歌う予定だったのですが、吉川さんのせいでステージに出るタイミングがつかめず、オーケストラも大混乱。

出だしが歌えなくなって河合奈保子の怯える様がテレビに映ってしまい、結局途中からしか歌えませんでした。

 

さらにハプニングが続きます。

河合奈保子の次の出番のシブがき隊は、酒とギターを燃やしたオイルのおかげでツルツルの滑りやすいステージで歌うはめになり、、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒!

後日、ふっくんも「あれは吉川のせいだ(笑)」と言ってました。


出典元:https://matome.naver.jp

そんなめちゃくちゃな紅白初出場でしたが、当時を振り返ってこう語っています。

「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延している意識もまったくなかった
ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」

出典元:ウィキペディア

当然NHKは出入り禁止となりましたが、2002年にドラマ「真夜中は別の顔」で主演に抜擢されました。

オファーがきた時は本人が一番驚いたんだとか。

その後大河ドラマ等にも出演して、出入り禁止は完全に解除されたのでした。

もう時効ということで許していただけたかもですね。

白髪になったのはいつから?


出典元:https://cherry0704.com

こちらの写真は吉川さんがまだ10代の頃だと思われるのですが、すでにシルバーヘアですよね!

このことについては、以下のようにインタビューで答えています。

「髪だって元が白いんだけど、黒くしてたんだよ
元がコレなの実は。今まで隠してた…っつか塗ってたの。地が白いのよ
ファンはさ、老けたとかさ、爺臭いからやめろとかもう散々言うわけよ。言ったら言う程やめないからね!!俺は」

出典元:https://ameblo.jp

どうやら若白髪だったようなんです!

ということは、この若い頃の画像も本物の白髪なのかもしれませんね!

そういえば、金髪にしていた時期もありました。


出典元:http://kikkawajaken.

金髪の吉川さんもめちゃくちゃカッコいいですよね!

これも一種の白髪染めだったのかもしれませんね!

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まとめ:伝説を刻み続ける吉川晃司

吉川晃司の若い頃のエピソードを振り返ると、彼がいかに破天荒で、かつストイックな人生を歩んできたのかがよく分かります。デビュー当時からすでにカリスマ性を放ち、音楽だけでなく、アクションやスポーツの分野でも並外れた才能を見せつけてきました。そして、彼のトレードマークともいえるシルバーヘアも、単なるスタイルではなく、彼自身の生き様を象徴するものだったのかもしれません。

年齢を重ねてもなお、第一線で活躍し続ける吉川晃司。その姿は、まさにロックそのもの。若い頃の伝説を知れば知るほど、今の彼がどれだけカッコいい存在なのかが改めて実感できます。これからも唯一無二のアーティストとして、さらなる伝説を作り続けていくことでしょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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