吉川晃司は若い頃から白髪だった?伝説が凄すぎる!

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白髪がとてもお似合いの吉川晃司さん。

渋くてカッコいいですよねー!

音楽の他にも、俳優として大活躍されています。

若い頃から白髪だった!

伝説が凄すぎる!

ってほんまかいな!?

プロフィール

吉川晃司(きっかわこうじ)

生年月日:1965年8月18日

出身地:広島県

血液型:B型

身長:182cm

所属:アクセルミュージックエンターテイメント(代表取締役社長)

1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時は俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

 

伝説が凄すぎる?

今ではドラマ、映画での渋い演技や、シンバルキックなどのライブパフォーマンスで人気の吉川晃司さんですが、若い頃に様々な伝説が残されています。

そんなエピソードをいくつか紹介したいと思います。

 

水球の元日本代表選手だった

広島の修道中学時代から水球選手をしていたようです。

「もともとサッカーをやっていたけど、暑い日、プールがきらきら輝いて見えてね。誰もいなかったんだよ。男子校だから、海パンなんて落っこってて、そのままはいて水に漬かってたわけよ。そうしたら中高6年制だったから、高校生の主将がちょうど来ちゃって。『お前、何しとんじゃ!』『今日から水泳部!』と」

なんと、水球を始めるキッカケは強制的だったようですね!

修道高校2年の時に、U-20の日本代表に最年少で選出。

海外遠征時に世界との壁を感じて水球を辞める決意をしたようです。

「外国には100キロの選手がざら。(元プロレスラーで親友の)前田日明さんを背負って水の上で受けるみたいな感じですよ。前田7人はやめてと。想像を超えてますよね」

以前、「喧嘩するなら水辺だね」なんてことを言ってました。

水球はまさに格闘技ですね!

 

デビューするために芸能事務所に自ら手紙を送った

水球を辞めてから音楽活動をしていた吉川さんですが、広島にいてもなかなかスカウトされる訳でもなく、そこで彼がとった行動が第三者になりすまし手紙を送りつける作戦でした。

「広島に吉川晃司っていう凄い奴がいる。歌は上手い!ギターも上手い!踊りも上手い!一度見に来ないと一生後悔するよ。」

みたいな感じの手紙を送ったらしいです。

すると、渡辺プロの方が松本明子さんに会いに行ったついでに来てくれたんだとか。

しかし、松本明子さんは「吉川晃司を見に来たついでに会いに来たんだ」と言われていたようです。

真相はどっちなんでしょうか??

 

そして、オーディションを受けるように言われ受かってしまったのがデビューのきっかけのようです。

デビュー作の「すかんぴんウォーク」では、広島から東京まで泳いで来るというとんでもない設定でした!

 

デビュー年に、8つの新人賞を独占した

吉川さんのデビューはアイドルとしてでした。

1984年2月1日シングル「モニカ」で歌手デビューします。この曲は、同年2月11日公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌であり、オリコンランキング3位を獲得しています。

その後も立て続けにシングルをリリースします。

サヨナラは八月のララバイ(1位)

LA VIE EN ROSE(1位)

ユー・ガッタ・チャンス(1位)

にくまれそうなNEWフェイス(1位)

RAIN-DANCEがきこえる(4位)

キャンドルの瞳(2位)

と、立て続けに大ヒットを連発!

そして、1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占しました。

まさに、吉川フィーバーがおこった年でもありました。

 

片手バク転誕生秘話

吉川さんのライブパフォーマンスで有名なのが、片手バク転なるものがあります。

これは当初狙ってたものではないようです。

以前インタビューで誕生したきっかけを話していました。

 

「当時のアイドルってみんな小柄なのよ」

「で、みんなバク転するわけよ」

「バク転ぐらい俺にもできるわ!」

って思ったらしいです。

 

何かパフォーマンスしたいと思ってた吉川さんは、とりあえず歌終わりにバク転をしよう!と決めたようです。

歌が終わり、さあバク転するぞ!ってなった時にあることに気づきました。

マイクを持ってたんです!

仕方ないので、マイクを持ったまま片手でバク転したところ、それが「片手バク転」として広まったようです。

どこの歌番組に行っても、「最後はやっぱ片手バク転ですよね?」って言われるようになったんだとか。

 

偶然に誕生した片手バク転ですが、今ではおなじみのライブパフォーマンスになっています。

 

路上で爆睡し、女子高生に怒られた

若い頃は、友人の尾崎豊さんと飲み歩いてたようです。

飲み方も半端なく、気絶するまで飲んでたみたいですね。

そんなある日、いつものように明け方まで飲んでいたらバス停の横にゴミ捨て場があったらしいです。

「ゴミ袋のひんやりした感触が気持ちよかったんだろうね」

「酔っ払って尾崎とゴミ袋の上で寝てたんだよ」

気が付けば、朝の通勤時間になってたそうで、バスを待っていた女子高生が二人に向かって一言。

「カッコ悪いから起きたほうがいいですよ。」

この女子高生は吉川さんと尾崎さんだということをわかってたんでしょうね。

なんか、懐かしく微笑ましいエピソードですね。

 

NHK紅白大暴れ事件

1985年の紅白初出場時に事件が起きました。

白組トップバッターでしたが、なんと真っ赤な衣装でステージ上に現れます。

さらにはシャンパンを撒き散らしながらの登場でステージもびしょびしょ。

当初、NHK側から「ギター、ベースの2人以外は、ステージに登場させないで欲しい」という指示があったようですが完全に無視。

もう一人のギター、キーボード2人も演奏の終盤でステージに登場させました。

更に、本来の出演時間をオーバーしたにもかかわらず、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行ったのです。

さらにパフォーマンスを続け、次の出番の河合奈保子はオーケストラをバックに歌う予定だったのですが、吉川さんのせいでステージに出るタイミングがつかめず、オーケストラも大混乱。

出だしが歌えなくなって河合奈保子の怯える様がテレビに映ってしまい、結局途中からしか歌えませんでした。

 

さらにハプニングが続きます。

河合奈保子の次の出番のシブがき隊は、酒とギターを燃やしたオイルのおかげでツルツルの滑りやすいステージで歌うはめになり、、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒!

後日、ふっくんも「あれは吉川のせいだ(笑)」と言ってました。

 

そんなめちゃくちゃな紅白初出場でしたが、当時を振り返ってこう語っています。

「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延している意識もまったくなかった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」

当然NHKは出入り禁止となりましたが、2002年にドラマ「真夜中は別の顔」で主演に抜擢されました。

オファーがきた時は本人が一番驚いたんだとか。

その後大河ドラマ等にも出演して、出入り禁止は解禁されていますね。

若気のいたりということで、時効ということにしてくれたんでしょうか。

 

若い頃から白髪だったのか?

以前このようなコメントを残されています。

「髪だって元が白いんだけど、黒くしてたんだよ。
元がコレなの実は。今まで隠してた…っつか塗ってたの。地が白いのよ。
ファンはさ、老けたとかさ、爺臭いからやめろとかもう散々言うわけよ。言ったら言う程やめないからね!!俺は」

どうやら若白髪だったようです。

そういえば金髪にしていたこともありましたね。

これも一種の白髪染めだったんでしょうか。

金髪もめちゃくちゃカッコよかったですけどね!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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