明石家さんまの若い頃が破天荒すぎた!伝説だらけの芸人青春時代

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「若い頃の明石家さんま、マジでヤバい!」
今や“お笑い怪獣”として知られ、テレビで見ない日はないほどの超大物芸人・明石家さんまさん。独特のトーク力とマシンガントーク、そして圧倒的な存在感で、世代を超えて愛される存在です。

でも実は・・・その若い頃は「笑えるを超えて“破天荒すぎる”」人生の連続だったのです!

学生時代から目立ちまくり、芸能界入りも偶然と勢い。
芸人になる以前は落語家を目指していた!?
テレビの前では語られない、数々の伝説エピソードがてんこ盛り!

この記事では、明石家さんまさんの若かりし頃!
破天荒で、エネルギーに満ち溢れた青春時代の裏側を、笑いと感動たっぷりでお届けします。
読めばきっと、あなたも“さんまファン”になること間違いなし!!

小学生でクラスの人気者!笑いの才能は幼少期から

「明石家さんまは、生まれたときから芸人だったのかもしれない」
そんな声があるほど、さんまさんの“笑いの才能”は、小学生の頃からズバ抜けていた。

和歌山県に生まれ、小学時代を奈良で過ごしたさんま少年。
とにかく明るく、授業中でもお構いなしにギャグを飛ばしては先生に怒られ、
でもそのたびにクラス全体が爆笑する…という“完全なるムードメーカー”だった。


※6歳の時のさんまさん

本人いわく、「クラスの笑いを一手に引き受けてた」と語るほどで、
テストより笑わせることに命をかけていたという武勇伝も残っている。笑

さらに、先生のモノマネや地元の人のクセのある話し方を完コピして、
大人たちまで笑わせていたというから、その観察力と表現力はすでにプロ級!

この頃から「自分がしゃべると、みんなが笑う」
そんな感覚を肌で覚え、心のどこかで“笑いの道”を意識していたのかもしれません。

もちろん、本人はまだ“芸人”になるつもりなんてこれっぽっちもなかったけど、
この小学生時代が、後の“お笑い怪獣”の土台になっていたのは間違いない。

サッカー少年から落語家へ!?異色すぎる芸人人生の始まり

実は明石家さんま、もともとは芸人志望ではなかった
中学〜高校時代は、かなり本気でサッカーに打ち込むスポーツ少年だったのです。
なんと奈良県選抜にも選ばれた実力者で、当時の夢は「サッカー選手になること」だったとか。


※高校時代のさんまさん

でも、あるとき進路に悩んださんま少年が、兄にこう相談する。
「俺、これからどうしよっかなぁ…」
すると兄は、ふざけ半分でこう言った――

「お前、よう喋るし、落語家とか向いてんちゃう?」

これがまさかの運命の一言。

ノリと勢いで、当時関西で活躍していた笑福亭松之助師匠に弟子入り志願。
いきなりの弟子志願にも関わらず、松之助師匠は「おもろい奴や」と思って受け入れた。
こうしてさんまは、高校卒業と同時に“落語の世界”へ飛び込むことになる。

芸人になろうと思ってなったわけじゃない。
サッカーから急転直下、まさかの落語家修行。
この異色すぎるスタートが、のちの“さんま伝説”の始まりだったのです。

笑いの道へ本格始動!落語家時代とその葛藤

高校卒業後、笑福亭松之助に弟子入りし、“笑福亭さんま”として落語家人生をスタートしたさんまさん。
しかし!ここからが、まさに“苦悩と葛藤”の連続だったのです。

落語の世界は超がつくほどの縦社会。
洗濯、掃除、師匠の送り迎え、雑用の嵐。
テレビで見る華やかな世界とはまったくの別物。
「なんで俺、ここにおるんやろ…」と、何度も思ったそうです。

しかも、さんまは落語にあまり向いてなかった
型にハマらず、アドリブでしゃべり倒すスタイルが、古典落語の世界では異端扱い。
「お前の落語はうるさいだけや!」と周囲から注意され、
ついには破門寸前にまで追い込まれたことも…!

でも、それでも彼はやめなかった。
「オレはオレのスタイルで笑わせたい」
その強い思いが、やがてテレビの世界へと道を開いていくことになります。

この落語家時代が、さんまの“芸人としての基礎”になったことは間違いありません。
話術、間のとり方、観客との距離感。すべてはこの時代に磨かれた。

やがて彼は、落語の世界から“芸人・明石家さんま”として羽ばたく決意をするのです。

伝説の番組「ヤングおー!おー!」での大暴れ

落語の世界で悩みながらも、「オレの笑いを届けたい」という想いを抱え続けた明石家さんま。
そんな彼が次に飛び込んだのは、関西テレビの人気バラエティ番組『ヤングおー!おー!』でした。

ここで、さんまはついに“テレビ芸人”としての才能を爆発させます。

当時の芸人は「きちんとネタを披露する」のが王道スタイル。
でもさんまは違った。
とにかく喋る!止まらない!隙あらばボケる!
共演者のコメントに被せてツッコむし、カメラが回ってないときも大暴れ!

しかも、素人参加型コーナーで一般人すらいじり倒すという前代未聞のスタイル。
“さんまにいじられる”ことが出演者の喜びになるほど、存在感が異常だったんですw

周囲の芸人たちも、「あいつ…なんや、めっちゃおもろいぞ?」とザワつき始め、
ついに業界の注目を浴びるように!!

「この男…なんか違う!」
そう思わせた“テレビ界の第一歩”が、この『ヤングおー!おー!』での大暴れだったんです。

本人も後に「何も考えてなかった。ただ、目立ちたかった」と語っていますが、
この無邪気な爆発力こそが、後の“お笑い怪獣”の原型やったんや…!!

トークの神誕生!「オレたちひょうきん族」で爆発的人気に

1981年、フジテレビのバラエティ番組『オレたちひょうきん族』がスタート。
この番組こそ、明石家さんまが全国区のスターへと大ブレイクした“伝説の舞台”です。

当時のバラエティは、まだまだ真面目でお堅いスタイルが主流。
しかし、『ひょうきん族』はそれをブチ壊した!
ザ・ドリフターズに対抗するような、“若手芸人による革命番組”として、圧倒的な自由さとパワーを見せつけたのです。

その中でも、さんまは圧倒的なトーク力と瞬発力で存在感を爆発!!
「アミダばばあ」「ブラックデビル」など、数々のキャラも生まれ、
週末の夜は“さんまで腹筋崩壊”する家庭が続出したとかw

共演者のビートたけしとの掛け合いも伝説的で、
2人の丁々発止の応酬はまさに“笑いの殴り合い”。
日本中が、テレビの前でさんまの声と笑顔に釘付けになった時代です。

この頃から、さんまは「台本通りにしない」「話を脱線させる」「ツッコミが速すぎる」と、
制作側から「制御不能」と言われながらも、それすら“芸”にしてしまう異次元の才能を発揮!

結果、「さんまが出てるだけで面白い」という神話が完成。
ここに、“トークの神”明石家さんまが誕生したのです!!

若い頃から変わらぬ“明石家さんま”という生き様

テレビの中心に立ち続けて、40年以上。
どれだけ時代が変わっても、どれだけ自分が売れても――
明石家さんまという男は、若い頃から何ひとつブレていない。

さんまがずっと言い続けている名言がある。

「俺は“生きてるだけで丸儲け”やねん。」

この言葉には、彼の人生そのものが詰まっている。
幼い頃に家族を亡くした辛い過去もある。
芸人として売れない時期も、孤独も、焦りもあった。

でも彼は、笑いで人を救いたい、元気を届けたいという一心で、
常に「今」を全力で生きてきた。

若い頃、落語の世界で叱られ、テレビでは浮きまくっていた“異端児”。
でもその異端こそが、時代を変え、笑いの文化を前に進めてきた。

そして今もなお、誰よりも早く現場に入り、
誰よりもしゃべり、誰よりも笑いを巻き起こす。

「天才」でも「怪獣」でもない。
さんまは、ただただ“笑いを愛してる一人の人間”なのだ。

そのスタンスは、若い頃から一切変わっていない。

まとめ

明石家さんま。
誰もが知る“お笑い怪獣”は、
実は笑って泣ける、破天荒すぎる青春を駆け抜けてきた男でした。

クラスのムードメーカーだった小学生時代、
サッカー少年から突然の落語家デビュー、
師匠に怒られ、破門寸前になりながらも、自分の笑いを信じて突き進んだ若き日々。

『ヤングおー!おー!』でテレビ界の度肝を抜き、
『ひょうきん族』で全国民を笑い転げさせ、
トークの神と呼ばれるようになっても――

さんまはいつだって、“あの頃のまま”。

誰よりもしゃべり、誰よりも人を笑わせることに命をかけ、
「生きてるだけで丸儲け」と笑いながら、生き様を見せてくれる。

明石家さんまの若い頃は、ただの過去ではなく、
今の自分に“笑い”と“生きる勇気”をくれる、最高の物語なんや。

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