吉川晃司がシンバルキックをやりだしたのはいつからなのか?

ミュージシャン

最近はドラマ等で俳優としても活躍中の吉川晃司さん。

ですが、本業はミュージシャンでライブパフォーマンスにはとても定評があります。

その中でも、吉川さんの代名詞とも言えるのがシンバルキックなるものです!

高さ2メートルのシンバルをキックするのは見ていても圧巻で惚れ惚れしてしましますよね。

吉川さんがシンバルキックをやりだしたのはいつからなの?というのが気になってる方が多いようなので、今回はそのことについて調査してみました。

ちなみに、私は吉川さんの大ファンで何度もライブに足を運んでいるのですが、正直いつからからだっけ?というのが本音ではございますが・・・

では、デビュー当時からを振り返ってシンバルキックを始めた時期を特定していきたいと思います。

是非とも最後まで読んでみてくださいね!

アイドル時代

吉川さんは1984年に「モニカ」でデビューしました。

ピンクのスーツに逆三角形の体形は当時でもインパクトがあり、あっという間に人気アイドルとなりました。

今では、ミュージシャンや俳優のイメージが定着してますが元々はアイドルでデビューしたんですね。

この頃はまだシンバルキックは誕生してません。

ですが、片手バク転なるものを披露してました。

片手バク転はたまたま誕生したパフォーマンスなんです。

当時の歌番組はまだまだアイドルがたくさん出演していて、みんなバク転をしていたようなんです。

そこで吉川さんも「俺もバク転くらいできるわ!」と思っていざバク転をしようとした際、マイクを持ってることに気づきます。

そこでマイクを持ちながら片手でバク転をしたのが始まりなんですね。

これを機に、その後は「最後はやっぱり片手バク転ですよね?」とプロデューサーに言われるようになったんだとか。

さらには高所からバク転してプールに飛び込むなどのパフォーマンスもしていました。

COMPLEX時代

吉川さんを語る上で欠かせないのが、布袋寅泰さんとのユニットを組んだCOMPLEXではないでしょうか。

1989年にリリースした「BE MY BABY」は瞬く間に大ヒット!

この頃から男性ファンも急増し、ミュージシャンとして認識されだしたんじゃないでしょうか。

何かのインタビューで、元々はミュージシャンを目指して上京したのにアイドルをやらされているのが嫌だったみたいなことを言ってた気がします。

で、この頃シンバルキックをしていたかと言うとまだやってません。

COMPLEXは約2年で活動を休止してしまいます。

理由は、音楽を純粋に楽しみたい吉川さんと音楽をビジネスと考えていた布袋さんが喧嘩になってしまったと言われています。

ですが、2011年東京ドームで行われた東日本大震災復興ライブで約20年振りに再結成し、2日間のライブは満員御礼で大盛況でした。

COMPLEX復活について話し合ったのはなんと公園だったんだとか。

再びCOMPLEXを見てみたいのですが・・・

1990年代

COMPLEX解散後はミュージシャンとして音楽活動を本格化させていきます。

「せつなさを殺せない」「KISSに撃たれて眠りたい」などなどヒット曲を生み出しました。

で、肝心のシンバルキックですがこの頃はまだやっていません。

当時、何度かライブ会場に足を運びましたが、ひたすら歌って踊っていた印象です。

MCもほとんど無かったように記憶しています。

歌番組に出演していた時ににも「喋るのが嫌い」と言っていたほどでした。

ですが、なんのキッカケかある時からめちゃめちゃ喋るようになったんです!

久々にライブに言って吉川さんが喋りまくってて驚いたくらいです。

2000年代

シンバルキックが誕生したのは2000年代になります!

デビュー20周年ライブ(2004年)にはすでにシンバルキックをしてましたので、2000年代初めからではないかと。

2004年に広島のライブに行った時のことです。

オープニングはデビュー曲のモニカでした。

歌い終わりで勢いよくシンバルキックをしたところ、なんとシンバルが割れてしまったのです!

「シンバルが割れちゃったよ・・・」と言っておりましたが、結局そのライブでシンバルキックを見れたのは1度きりでした。

それだけの勢いで蹴るもんですから、骨折したことも何度かあるそうです。

また、シンバル職人に「シンバルは蹴るもんじゃない!」と怒られたこともあるようですよ。

 

↓こちらの記事もオススメです↓

吉川晃司の若い頃のエピソードが凄い!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました