「えっ…ムロツヨシって、こんなに苦労してたの!?」
いまやドラマに映画に引っ張りだこ。お茶の間の人気者として知られるムロツヨシさん。明るくて飾らないキャラクター、そしてあの独特の“ムロ節”で、観る人を笑顔にしてくれる俳優ですよね。
でも実は…彼の若い頃は、決して順風満帆なものではありませんでした。オーディションに落ち続け、アルバイトで食いつなぎながらも、夢だけは絶対にあきらめなかった20代。華やかに見える今の姿からは想像もできない“地味で泥くさい下積み時代”があったのです。
この記事では、ムロツヨシさんの知られざる若い頃――その原点に迫ります。俳優を志したきっかけ、演劇に人生を捧げた理由、そして下積み時代のリアルな素顔とは…?
知れば知るほど、ムロツヨシという人間にグッと惹かれる。そんなエピソードを、たっぷりご紹介します!
俳優を目指したきっかけは“あの映画”だった
ムロツヨシさんが本格的に「俳優になろう」と決意したのは、大学時代。
実は彼、最初から演劇の道を歩んでいたわけではなく、もともとは理系の大学に通うごく普通の学生でした。ところが、ある日観た一本の映画が彼の人生を180度変えることになります。
その映画こそ、三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』。
シンプルな舞台設定の中で繰り広げられる濃密な会話劇、そこに命を吹き込む俳優たちの演技力。ムロさんはこの作品に強烈な衝撃を受け、「自分もこの世界に入りたい」と心を奪われたのです。
その後、大学を中退し、なんと独学で演劇の道へ。演劇学校に通ったのはたった1年。しかも、そのときも既に“ムロツヨシ”という芸名を名乗っていたというから驚きです。
「どうせなら本名じゃない方が、思い切り失敗できると思った」そんな言葉にも、彼の覚悟と“挑戦者”としての姿勢がにじみ出ています。
こうして始まった、ムロツヨシの“演劇人生”。
誰に頼まれたわけでもなく、誰に保証されているわけでもない。
それでも、好きなことに身を投じた彼の覚悟が、このときすでに静かに燃えていたのです。
下積み15年…売れない日々とアルバイト生活
今でこそ名バイプレイヤーとしてドラマや映画に欠かせない存在となったムロツヨシさん。
しかし、ブレイクするまでに15年もの長い“売れない時代”があったことは、あまり知られていません。
俳優の道に飛び込んだものの、すぐに仕事が舞い込むほど甘くはなかった現実。オーディションには落ちまくり、名前すら覚えてもらえない日々…。それでも彼は、諦めませんでした。
生活費を稼ぐために、アルバイト三昧。
引っ越し、居酒屋、警備員…。仕事が終われば劇場へ。
舞台に立てるチャンスがあれば、ギャラなしでも出演。
「お金はいらないから、自分の芝居を観てほしい」そんな想いでステージに立ち続けたのです。
もちろん、悔しさや不安で押しつぶされそうになる夜もあった。
同世代の俳優が次々と売れていく中、自分だけが取り残されていくような気がして、「自分には才能がないのかも」と涙した日もあったそうです。
それでも彼が俳優を辞めなかった理由。
それは、“芝居が好きだから”。そして、“笑ってもらえることが、ただただ嬉しかったから”。
シンプルでまっすぐなその気持ちが、彼の背中をずっと押し続けていたのです。
舞台で磨いた演技力と“ムロ節”誕生の秘密
ムロツヨシといえば、クセの強いセリフ回し、アドリブ混じりの独特な間(ま)、
そして何よりも“人間味”あふれる芝居が魅力、それがいわゆる「ムロ節」。
このスタイル、実はテレビや映画じゃなく、小さな舞台の上で生まれ育ったものでした。
観客数十人の小劇場。照明も音響も最低限。
でも、ムロにとってそこは“命をかける場所”だった。
セリフを間違えても、忘れても、とにかく「笑わせよう」「伝えよう」と必死で演じ続けた日々。
相手の芝居に合わせて呼吸を変える。アドリブで観客の反応を見る。
そうやって、彼だけのリズムと間が出来上がっていったんです。
さらにムロは、「真面目な演技だけじゃダメ」と考え、
“笑い”と“シリアス”を共存させる芝居を追求。
泣いてるのに笑える。笑ってたのに、気づけば涙が流れてる。
そんな“ギャップの魔法”を、舞台というリアルな場で磨き続けました。
彼の舞台は、観客との「生の呼吸」がすべて。
そこから生まれた「ムロ節」は、作られたものではなく、生き様そのものだったのです。
転機となった福田雄一との出会い
長く続いた下積み時代。
舞台で腕を磨きながらも、なかなか“テレビの世界”には食い込めなかったムロツヨシさん。
そんな彼の運命を変えたのが、脚本家・演出家の福田雄一との出会いでした。
福田雄一といえば、あのぶっ飛んだギャグ世界でおなじみの天才クリエイター。
彼が手がけた『勇者ヨシヒコ』シリーズで、ムロツヨシは“ムロ節”全開の演技で一気に注目を集めます。
実は福田さん、ムロの舞台を偶然観て、「この人、面白すぎる!」と直感的にキャスティングしたんだとか。
そこからは福田組の常連となり、『アオイホノオ』『今日から俺は!!』『50回目のファーストキス』など、数々の作品に出演。
テレビ界でも“ムロの名前”が広がっていきました。
福田雄一とのタッグは、まさに“化学反応”。
アドリブを恐れない自由な演技と、ムロならではのキャラ作り。
それが視聴者の心をわしづかみにし、
「なんかこの人、めちゃくちゃ面白いんだけど!」というムロ旋風が巻き起こったのです。
でもムロは、こう語っています。
「福田さんが拾ってくれたんじゃない。ずっと“準備”だけはしてたんです。」
チャンスは偶然。でも、それを掴むための“15年の努力”があったからこそ、ムロツヨシは光を放てたのです。
ブレイク後も変わらぬ“ムロ流”の生き様
ドラマ、映画、CM、バラエティ…
今やムロツヨシは「見ない日はない」と言われるほどの人気俳優に成長しました。
でも、彼の中身は、売れる前と何ひとつ変わっていません。
バラエティ番組で見せるあの“いじられキャラ”。
共演者からのムチャぶりにも全力で応える姿。
演技中の真剣な眼差しと、現場の空気をほぐすムードメーカーっぷり。
そう、それがまさに“ムロ流”。
彼はブレイクしても、驕らない。気取らない。媚びない。
誰よりも現場に感謝し、誰よりも芝居を楽しんでいる姿は、昔とまったく変わっていません。
あるインタビューで、ムロはこう語っています。
「僕、昔“売れない芸人”っぽいって言われてたんですけど、今でもそこが抜けてないと思うんです」
その言葉には、過去の自分を否定しない優しさと、
どんなときでも“自分らしくあろう”とする覚悟が込められていました。
人気者になってもなお、常に全力、全開、全身芝居。
“ムロツヨシ”という役者は、いつまでも「泥くさくて、人間くさくて、あったかい」。
だからこそ、老若男女問わず、多くの人に愛され続けているんです。
ムロツヨシの若い頃が教えてくれる“あきらめない強さ”
ムロツヨシ。
今では誰もが知る人気俳優。でも、その裏には想像を超える努力と、果てしない葛藤がありました。
普通の大学生だった彼が、“一人の俳優”を夢見て飛び込んだ演劇の世界。
バイトで食いつなぎながら、何度も悔し涙を流しながら、それでも舞台に立ち続けた下積みの日々。
誰からも注目されず、それでも「誰か一人でも笑ってくれたらいい」と信じて演じ続けた時間。
そして、そんな彼の想いが“ムロ節”として花開き、
福田雄一との出会いで世間に見つかり、
ついには“唯一無二の俳優”として不動の地位を築いた――
けれど、ムロツヨシという人間は、昔と何も変わっていません。
売れてもなお、現場でふざけて、笑って、誰よりも芝居を楽しんでる。
そこにあるのは、15年の下積みが支えた“本物の人間力”なんです。
ムロツヨシの若い頃は、ただの苦労話じゃない。
「笑われてもいい。泥くさくてもいい。それでも、自分を信じて進め」
そんなメッセージが、今を生きる俺たちにぶっ刺さるんや!