映画『座頭市』シリーズなどで知られ、昭和を代表する名優として活躍した勝新太郎さん。
豪快で破天荒な人物としても知られる勝新太郎さんですが、若い頃は二枚目俳優として売り出されており、かなりのイケメンだったことをご存じでしょうか?
若い時の写真を見ると、後年の貫禄たっぷりな姿とはまた違い、端正な顔立ちと独特の色気が感じられます。
また、俳優になる前は長唄や三味線の世界で活躍しており、23歳で大映に入社して映画『花の白虎隊』でデビュー。
その後、『不知火検校』『悪名』『座頭市物語』などの作品をきっかけに、一気にスターへの階段を駆け上がっていきました。
今回は、そんな勝新太郎さんの若い頃の画像や俳優デビュー当時、若い時のエピソードについて詳しく紹介していきます。
勝新太郎の若い頃がイケメン!
『座頭市』のイメージが強い勝新太郎さんですが、若い頃は現在見てもかなりのイケメンでした。
後年は貫禄のある風貌と豪快なキャラクターで知られていましたが、20代の頃は顔立ちも端正で、どこか色気のある二枚目俳優といった雰囲気です。
実際に大映へ入社した当初は「若手二枚目スター」として売り出されていました。
しかし意外なことに、勝新太郎さんは最初から人気俳優だったわけではありません。
若い頃はなかなか人気が出ず、俳優として苦しい時代も経験しています。
そんな勝新太郎さんは、どのような若い頃を過ごしていたのでしょうか。
10代の頃は長唄と三味線の師匠だった
勝新太郎さんは1931年11月29日、長唄三味線方・杵屋勝東治さんの次男として生まれました。
兄は、後に俳優として活躍する若山富三郎さんです。
芸能一家で育った勝新太郎さんは、若い頃から父親の影響を受けて長唄と三味線の道へ進みました。
そして「二代目・杵屋勝丸」を名乗り、なんと10代ですでに長唄と三味線の師匠として活動していたのです。

俳優としての勝新太郎さんしか知らない人にとっては、三味線の師匠だったという経歴はかなり意外ですよね。
しかも趣味として三味線を弾いていたというレベルではなく、プロとして活動していたというから驚きです。
その後、アメリカ巡業へ行った際にジェームズ・ディーンに触発されたことが、俳優を志すきっかけになったといわれています。
若い頃から芸の世界で生きてきた経験は、後の勝新太郎さん独特の演技や表現力にも大きな影響を与えたのかもしれませんね。
23歳で大映に入社し『花の白虎隊』で俳優デビュー
勝新太郎さんが俳優の世界へ入ったのは1954年、23歳の時でした。
大映京都撮影所と契約し、映画『花の白虎隊』で俳優デビューを果たします。

この作品には、市川雷蔵さんも出演していました。
勝新太郎さんと市川雷蔵さんは、その後の大映を代表するスターとなっていきます。
若い頃の勝新太郎さんを見ると、後年の『座頭市』で見せた泥臭く迫力のある姿とはかなり印象が違います。
まだ初々しさが残っていて、端正な顔立ちをした正統派の二枚目俳優という雰囲気ですね。
ちなみに「勝新太郎」という芸名は、この俳優デビューを機に名乗るようになりました。
三味線の師匠だった青年が映画会社に入り、後に日本映画史に残る大スターになるのですから、人生とは分からないものですね。
若い頃は二枚目俳優として売り出されていた
大映に入社した勝新太郎さんは、その端正なルックスから若手二枚目スターとして売り出されました。

写真を見ると、確かにかなりのイケメンです。
太い眉毛にキリッとした目元、整った顔立ちは昭和の二枚目俳優そのもの。
後年の豪快な「勝新」のイメージしかない人なら、若い頃の写真を見て驚くのではないでしょうか。
ところが――。
これだけルックスが良かったにもかかわらず、二枚目俳優としての勝新太郎さんは思うように人気が出ませんでした。
会社の期待とは裏腹に人気は伸び悩み、同じ大映で活躍していた市川雷蔵さんらがスターになっていく中、勝新太郎さんはなかなか自分の個性を発揮できずにいました。
しかし、この「二枚目では売れなかった」という経験こそが、後の勝新太郎さんを生み出す大きな転機となります。
1960年、29歳の時に出演した映画『不知火検校』で、それまでの二枚目路線とはまったく違う役柄に挑戦。
ここから、私たちが知る「勝新太郎」が一気に開花していくことになるのです。
勝新太郎の若い頃はなかなか売れなかった
23歳で俳優デビューし、若手二枚目スターとして売り出された勝新太郎さん。
現在では昭和を代表する大スターとして知られていますが、意外にも20代の頃はなかなか人気が出ませんでした。
端正な顔立ちでルックスにも恵まれていた勝新太郎さんですが、当時の映画界には多くの二枚目スターが活躍しており、その中で自分だけの個性を出すことができずにいたようです。
そんな状況を大きく変えたのが、1960年に公開された映画『不知火検校』でした。
この作品をきっかけに、それまでの「二枚目俳優・勝新太郎」から、唯一無二の俳優「勝新」へと変貌していきます。
市川雷蔵らがスターになる中で伸び悩む
勝新太郎さんと同じ大映で活躍していた人気俳優といえば、市川雷蔵さんです。
実は勝新太郎さんと市川雷蔵さんは、1954年公開の『花の白虎隊』でともに映画デビューしています。

その後、市川雷蔵さんは『新・平家物語』や『眠狂四郎』シリーズなどで人気を集め、大映を代表するスターとなりました。
一方、勝新太郎さんは二枚目俳優として数多くの作品に出演するものの、なかなか大きなヒットには恵まれませんでした。
若い頃の写真だけを見ると、「これだけイケメンなのになぜ?」と思ってしまいますよね。
しかし勝新太郎さん自身にとっては、正統派の二枚目という枠があまり合っていなかったのかもしれません。
整った顔立ちだけで勝負する俳優というより、泥臭さや人間臭さ、そして圧倒的な存在感を前面に出した時にこそ魅力を発揮するタイプだったのでしょう。
そして、その才能がついに爆発する作品と出会います。
29歳の『不知火検校』で二枚目を捨てて大変身
勝新太郎さんにとって大きな転機となったのが、1960年公開の映画『不知火検校』です。
勝新太郎さんは当時29歳。
それまで演じてきた二枚目とは大きく異なり、盲目でありながら悪事を重ねてのし上がっていく杉の市というダークな主人公を演じました。

実はこの作品、勝新太郎さん自身が会社に企画を持ち込んで実現したとされています。
二枚目として伸び悩んでいた勝新太郎さんにとって、それまでのイメージを自ら壊す大きな勝負だったのでしょう。
そして、この大胆な路線変更が見事に成功します。
それまでの端正な二枚目というイメージから一転し、悪役ともいえる強烈なキャラクターを演じたことで、勝新太郎さんの演技力と存在感が高く評価されました。
さらに興味深いのが、この『不知火検校』で演じた「盲目の男」という役柄です。
そのわずか2年後、勝新太郎さんの代表作となる『座頭市物語』が公開されています。
二枚目俳優としては売れなかった勝新太郎さんが、二枚目を捨てたことでスターへの道を切り開いた――。
なんとも勝新太郎さんらしいエピソードですよね。
そして翌1961年には『悪名』、1962年には『座頭市物語』が公開。
20代で伸び悩んでいた勝新太郎さんは、30代に入ると一気に大映を代表するスターへと駆け上がっていくことになります。
勝新太郎は若い頃から『悪名』『座頭市』で大ブレイク!
1960年公開の『不知火検校』で、それまでの二枚目路線から大きくイメージチェンジした勝新太郎さん。
そして30代に入ると、ついに大スターへの階段を一気に駆け上がっていきます。
そのきっかけとなったのが『悪名』と『座頭市』でした。
どちらもシリーズ化されるほどの人気作品となり、勝新太郎さんの代表作となっています。
若い頃はなかなか芽が出なかった勝新太郎さんですが、30歳を過ぎてから一気に才能を開花させたのです。
30歳で『悪名』がヒットしスター俳優へ
1961年、勝新太郎さんが30歳の時に公開されたのが映画『悪名』です。
今東光さんの小説を原作とした作品で、勝新太郎さんは主人公の朝吉を演じました。

そして『悪名』で忘れてはいけないのが、勝新太郎さん演じる朝吉の相棒・モートルの貞を演じた田宮二郎さんです。
勝新太郎さんと田宮二郎さんのコンビは人気を集め、『悪名』はその後シリーズ化される大ヒット作品となりました。
『不知火検校』で二枚目の殻を破った勝新太郎さんにとって、『悪名』はスター俳優としての地位を決定づける作品のひとつとなったのです。
若い頃の勝新太郎さんというと端正な顔立ちが目を引きますが、この頃になると単なる「イケメン俳優」とは違った独特の色気が出ています。
豪快で男臭く、それでいてどこか憎めない――。
後に多くの人から「勝新」と呼ばれるようになる、あの強烈な個性が徐々に完成していった時期だったのかもしれませんね。
31歳で『座頭市物語』に主演
そして1962年、勝新太郎さんの俳優人生を語るうえで絶対に外せない作品が誕生します。
『座頭市物語』です。
当時の勝新太郎さんは31歳でした。

勝新太郎さんが演じたのは、盲目の按摩でありながら驚異的な居合術を持つ座頭市。
それまでの時代劇のヒーローといえば、端正な二枚目の侍というイメージが強かった中、座頭市はまったく異なる主人公でした。
無精ひげを生やし、決して見た目が華やかなわけでもない。
しかし、ひとたび仕込み杖を抜けば圧倒的な強さを見せる。
そんな座頭市を勝新太郎さんが人間臭く魅力的に演じたことで、作品は人気を集めました。
そして『座頭市』はシリーズ化され、勝新太郎さん最大の当たり役となっていきます。
20代の頃は二枚目俳優として伸び悩んでいた勝新太郎さん。
ところが、その二枚目というイメージから離れた途端に『不知火検校』『悪名』『座頭市』と次々に代表作が生まれました。
勝新太郎さんにとって、自分らしさを貫くことがスターへの最大の近道だったのかもしれませんね。
市川雷蔵と並ぶ大映の看板スターに
『悪名』や『座頭市』のヒットによって、勝新太郎さんは大映を代表するスター俳優となりました。
そして当時、勝新太郎さんと並んで大映の看板を背負っていたのが市川雷蔵さんです。
同じ『花の白虎隊』で映画デビューしながら、先に人気スターとなった市川雷蔵さんと、長い下積みを経て独自の個性を開花させた勝新太郎さん。
最終的には2人とも大映を代表するスターとなり、「カツライス」と呼ばれるほどの人気を誇りました。
「カツ」は勝新太郎さん、「ライス」は雷蔵さんをもじったものです。
なんとも昭和らしいネーミングですよね。
タイプも対照的で、市川雷蔵さんが端正で品のある二枚目スターだったのに対し、勝新太郎さんは豪快で人間臭く、強烈な個性を持つスターとして人気を集めました。
若い頃は二枚目俳優として市川雷蔵さんらの後塵を拝していた勝新太郎さんですが、自分にしかできない役柄を見つけたことで、ついには同じ大映を背負う存在となったのです。
そして『座頭市』で大スターとなった1962年、勝新太郎さんにはプライベートでも大きな出来事がありました。
女優の中村玉緒さんとの結婚です。
次は、勝新太郎さんと中村玉緒さんの若い頃について見ていきましょう。
勝新太郎と中村玉緒の若い頃
勝新太郎さんの妻として知られている女優の中村玉緒さん。
明るく天然なキャラクターでバラエティ番組でも活躍してきた中村玉緒さんですが、若い頃はとても美しい女優でした。

大きな瞳に整った顔立ちで、まさに昭和の美人女優といった雰囲気ですね。
そんな中村玉緒さんと勝新太郎さんは、1962年に結婚しています。
当時の勝新太郎さんは30歳、中村玉緒さんは22歳。
勝新太郎さんにとって1962年は『座頭市物語』が公開された年でもあり、仕事でもプライベートでも大きな転機を迎えた時期でした。
『不知火検校』などで共演
勝新太郎さんと中村玉緒さんは、ともに大映の俳優として数々の映画で共演しています。
そのひとつが、勝新太郎さんの転機となった1960年公開の『不知火検校』です。

勝新太郎さんは悪事を重ねながらのし上がっていく杉の市、中村玉緒さんは浪江を演じました。
当時の2人はまだ20代。
後に長年連れ添う夫婦となる2人が、若い頃に同じスクリーンに映っていたと思うと感慨深いものがありますね。
特にこの時期の中村玉緒さんは、後年の親しみやすいイメージとはまた違い、正統派の美人女優そのもの。
一方の勝新太郎さんもまだ若く、後年の貫禄たっぷりな姿とはかなり印象が違います。
若い頃の2人が並んでいる姿を見ると、まさに「美男美女」という言葉がピッタリですね。
1962年に中村玉緒と結婚
勝新太郎さんと中村玉緒さんは1962年に結婚しました。

結婚当時、勝新太郎さんは30歳、中村玉緒さんは22歳。
8歳差の夫婦でした。
中村玉緒さんは歌舞伎俳優・二代目中村鴈治郎さんの娘で、芸能一家に生まれ育っています。
一方の勝新太郎さんも長唄三味線方・杵屋勝東治さんを父に持ち、兄は俳優の若山富三郎さん。
2人とも幼い頃から芸能の世界と深い関わりを持っていたという共通点がありました。
結婚後には長女・奥村真粧美さん、長男・奥村雄大さんが誕生しています。
その後の勝新太郎さんは、俳優だけでなく監督やプロデューサーとしても活動する一方、その豪快な生き方や数々のエピソードで世間を騒がせることもありました。
そんな勝新太郎さんを長年支え続けたのが中村玉緒さんです。
2人の結婚生活は決して平穏なことばかりではなかったようですが、中村玉緒さんは1997年に勝新太郎さんが亡くなるまで妻として寄り添いました。
若い頃の美男美女の夫婦写真と、晩年の2人の姿を見比べてみると、長い年月をともに歩んできたことが伝わってきますね。
まとめ
今回は、勝新太郎さんの若い頃の画像や俳優デビュー当時、若い時のエピソードについて紹介しました。
勝新太郎さんは10代の頃から長唄や三味線の世界で活躍し、23歳で大映に入社して俳優デビュー。
若い頃は端正な顔立ちをしたイケメンで、二枚目俳優として売り出されていました。
しかし、意外にも二枚目路線ではなかなか人気が出ず、29歳で出演した『不知火検校』が大きな転機となります。
その後は『悪名』『座頭市』などのヒット作に恵まれ、大映を代表するスター俳優へと成長しました。
また、若い頃の中村玉緒さんとの写真を見ると、まさに美男美女の夫婦といった雰囲気でしたね。
20代から晩年までの画像を比較すると、爽やかな二枚目俳優から、年齢を重ねるごとに貫禄と独特の色気を増していったことが分かります。
若い頃のイケメンぶりはもちろんですが、自分らしい役柄と出会ってから唯一無二の俳優へと変貌していったことこそ、勝新太郎さん最大の魅力なのかもしれません。
今なお「勝新」の愛称で語り継がれているのも納得ですね。