タモリの若い頃が過激すぎた!イグアナから四カ国語麻雀まで傑作まとめ

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今や「お昼の顔(元・笑っていいとも!)」であり、NHKの『ブラタモリ』で見せるような、博学で穏やかなおじさんというイメージが定着しているタモリさん。誰も傷つけない、どこか達観した佇まいは、老若男女問わず広く愛されています。

しかし、彼が30代で芸能界に突如現れた当時の姿を知る人は、口を揃えてこう言います。 「若い頃のタモリは、とにかく過激で、アングラで、恐ろしかった」と。

実は若い頃のタモリさんは、テレビの常識を根底からひっくり返すような、狂気と知性に満ちた「異端の芸人」だったのです。今回は、今の姿からは想像もつかない、初期タモリの伝説の過激芸を一挙にまとめました。

なぜテレビに出られた?若い頃のタモリが「過激すぎた」と言われる理由

始まりは「密室芸」|限られた人だけが知る幻の天才だった

タモリさんは、一般的なお笑い芸人のように「養成所を出て、下積みを経てデビュー」というルートを辿っていません。素人時代、ジャズピアニストの山下洋輔さんや漫画家の赤塚不二夫さんといった一流の文化人たちが、ホテルの客室などでタモリさんのデタラメな芸を見て大爆笑し、「この男は天才だ」と身内で面白がっていたのが始まりでした。

誰に見せるでもない、限られた空間だけで披露されていたこの芸は「密室芸」と呼ばれ、そのあまりの尖りぶりに、当初は「テレビで流すのは絶対に不可能」とまで言われていたのです。

サングラスの奥の狂気|昭和のテレビ界に放たれた異端児

そんなタモリさんが1970年代後半にテレビに進出すると、お茶の間は騒然としました。当時はお馴染みのサングラスではなく、アイパッチ(眼帯)を着用して出演することもあり、その不気味でアングラなビジュアルと、それまでの「漫才」や「コント」の枠に収まらない謎の芸風は、昭和のテレビ界に放たれた爆弾そのものでした。

初期タモリを代表する伝説の過激芸5選

若い頃のタモリさんを象徴する、今では地上波で見ることが難しい伝説の芸を紹介します。

① イグアナの形態模写

今のタモリさんからは想像もつきませんが、若い頃は上半身裸(時にはパンツ一丁)になり、床を這いつくばってイグアナの動きを完全再現していました。 単なる物真似ではなく、首の動かし方、目線の配り方、ピクピクとした皮膚の動きまで本物そっくりで、そのリアルさはもはや芸術であり、同時に「狂気」を感じさせる究極の身体模写でした。

② 四カ国語麻雀(多国語麻雀)

タモリさんの卓越した知性と聴覚が生み出した、至高の言語パロディです。 中国語、韓国語、英語、そして日本語(あるいはフランス語など)を操る4人の人物が、麻雀をしながら言い争う様子を、タモリさん一人が即興で演じ分けます。実際には「それっぽい音」を並べているだけのデタラメ(嘘の言語)なのですが、発音やイントネーションが完璧すぎるため、本当に4人が激論を交わしているようにしか聞こえないという神業です。

③ ハナモゲラ語

「ハナモゲラ語」とは、意味のある言葉を一切排除し、日本語の音の響きやニュアンスだけで会話をするという前衛的な芸です。 「〜で、ハナモゲラが、ソレガシて…」といった具合に、もっともらしい顔と口調で話し進めるため、聞いている側は「何か深い意味があるのでは?」と錯覚してしまいます。言語の本質を突いた、非常にインテリジェンスな悪ふざけでした。

④ インチキ外国人の物真似(ニセ外タレント)

怪しげなアラブの大富豪、怪しげなドイツの哲学者、デタラメな英語を話すアメリカの従軍記者など、ステレオタイプな外国人を演じる芸です。 見た目や雰囲気をそれっぽく作り込み、もっともらしい「嘘のキャラクター」になりきる姿は、大衆が抱く「外国人っぽさ」への痛烈な皮肉でもありました。

⑤ 世紀の音楽パロディ|中洲産業大学教授のジャズ講座

タモリさんが架空の大学「中洲産業大学」の教授になりすまし、黒板を使って真面目くさった顔でジャズや音楽の解説をするミニコントです。 話している内容は9割が嘘やデタラメなのですが、音楽への深い造詣があるタモリさんが語るため、視聴者はコロッと騙されてしまいます。知的でありながら、権威を徹底的に小馬鹿にする独自のパロディ精神が光る名作です。

赤塚不二夫や知識人を熱狂させた、初期タモリの「毒と知性」

筒井康隆、山下洋輔…一流の文化人がこぞってタモリを愛した訳

当時のタモリさんのファンには、赤塚不二夫さんをはじめ、作家の筒井康隆さん、ジャズピアニストの山下洋輔さんなど、日本を代表するトップクラスの文化人が名を連ねていました。

彼らがなぜこれほど素人同然のタモリさんに熱狂したのか。それは、タモリさんの芸が単なる「一発芸」ではなく、既存の文化や権威、言語のシステムそのものをユーモアで解体する、きわめて高度な「毒と知性」を含んでいたからです。

単なる悪ふざけではない|高度な「パロディ」と「人間観察」の結晶

四カ国語麻雀にしてもジャズ講座にしても、徹底的な「人間観察」と「耳の良さ」がなければ成立しません。「本物がどうであるか」を完璧に理解した上で、あえて100%の嘘(デタラメ)を真面目にやる。このハイレベルなパロディ精神こそが、当時の知識人たちを虜にしました。

【変化の謎】過激な密室芸人から、なぜ「国民的司会者」になれたのか?

『笑っていいとも!』大抜擢がもたらした、タモリの引き算の美学

1982年、そんなアングラ界の帝王だったタモリさんに、お昼の生放送『笑っていいとも!』の司会という、誰もが耳を疑う大抜擢が下ります。 当初は「3ヶ月で終わる」と噂されましたが、タモリさんはここで大転換をはかります。自分の過激な芸(エゴ)を一切封印し、ゲストの話をフラットに聞く「引き算の美学」を取り入れたのです。

牙を抜かれたのではない|過激さを「誰も傷つけない笑い」へ昇華

アングラからメジャーへ移ったタモリさんを、「牙を抜かれた」と評する人もいました。しかしそうではありません。 若い頃に「人間観察」を極め、物事の本質をパロディ化してきたタモリさんだからこそ、誰がゲストに来ても緊張せず、相手をありのままに受け入れる「誰も傷つけない笑い」へと、その技術を昇華させることができたのです。

まとめ:若い頃の狂気があるからこそ、今のタモリは底知れない

服を脱ぎ捨てて床を這い回っていたイグアナの時代から、お昼の国民的司会者、そして現在のブラタモリに至るまで。

タモリさんの若い頃の過激でアングラな原点を知ると、今見せるあの「穏やかさ」や「達観した佇まい」が、単なる優しいおじさんのものではないことが分かります。すべての狂気も毒も知り尽くした上で、あえて肩の力を抜いてニコニコしている。だからこそ、タモリさんという存在には、他の誰にも真似できない底知れない深みがあるのです。

昭和のテレビを揺るがしたその狂気は、形を変えて、今も彼のブレない生き方の根底にしっかりと流れています。

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